東京サブカルエッセイ

23歳サブカル寄りの嗜好を持つ男が主に文章で表現していきます

私と青年は社会に溶ける

私と青年は社会に溶ける

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少しばかりウェーブがかかっている長髪を携えた青年の印象は柔らかく、かつ陰もありとてもミステリアスだ。

 

その青年の体躯は決して大きいものではない。

背丈は平均より少し低く、体の幅もどことなく頼りない。その頼りなさがまた儚げでもある。

 

私がその青年を初めて見たのは電車の中である。ボックス型のシートにおいて対する椅子に、彼は座っていた。距離は近い。

 

青年はおそらく私のことなど気にもしていない素振りであった。広げた文庫本を閉じては唸ったり、開いては文字を凝視してみたりしている彼は本の虫なのだろうか。

 

私はその青年に話しかけることはしなかった。何故なら、私が彼に話し掛ける理由など何処にもないからだ。

 

彼は私が降りる駅の二つ手前で下車した。

 

次に彼と会ったのは、私の最寄駅のコーヒーショップだ。そこの隅の陽当たりの良さそうな椅子に腰をかけた彼は、また文庫本を広げている。どこか絵になる彼を私は見つめていた。

 

おそらく私があまりに強い眼差しを持って見つめていたからだろう。彼はこちらをちらと見た。

 

その顔の動きがあまりに唐突だった為、私は目をそらすことに失敗した。彼と私の眼が合う。私は目をそらすタイミングを完全に失い、ただ彼の眼を、顔を見つめていた。

 

彼は不意に席を立ち、私の座るテーブルまで歩いてきた。対面に座った彼は何か用があるのかと尋ねてくることはしなかった。ただ目の前に座り、私を見つめている。

 

私はその非現実的な行動に理解が追いつかず、手元にあるコーヒーカップを弄ぶしかなかった。彼は呟いた。

 

「あなたがどうして僕を見つめているのかとても興味を持ったんだ。だからこうして目の前に座ってみたのさ。この方が見やすいだろう?僕を幾らか見つめていれば、あなたは何かしらの結果を得られるのかもしれない。それならば、見やすい方がいい」

 

「悪いけど、私もどうしてあなたを見つめていたのか分からないの。何故だか目に留まって、離れなくなって、目が合ったものだから尚更離れられなくて。だからあなたの言うような哲学的ニュアンスは全くないわ」

 

「そうかい。あったらあったで困ってしまうかもしれないから、それでいいのかもしれないね。僕は院生だ。大学院生なんだ。あなたは一体何者なんだい」

 

「私も大学院生よ。無目的に進学してモラトリアムを引き伸ばした、志のない院生なの。あなたは?」

 

「僕もそういった節はあるね。けれど、僕は自分の専攻した学問を心から学びたいと思っているし、それなりに忙しいからモラトリアムだとは思わないね」

 

「そう。でもあなたはとても優雅に見えるわ。雰囲気がそう見せているのか知らないけれど、あなたには忙しない日常が似合わない。少しばかり浮世離れした感じを受け取れる。どうして?」

 

「それは君の思い込みだ。僕は論文がひと段落したから、少々暇が続いてるだけさ。そんな日はここでも、どこでもいい喫茶店に来るんだ。本を読んでるだけで、とても心が休まる。真に休んでいるからそう見えたのかもしれないね」

 

「あなたは切り替えが上手なのね。私はあまり忙しくないの。院生を終えたら、どんな道を歩もうかここで考えようとしてた。いつもそう、私はコーヒーショップで人生を考える。結局何も決まらずにコーヒーを飲み終えて、気づいたら気疲れして帰るんだけどね」

 

「皆んなそうだろう。僕はそうしたことから逃げる為に本を広げているんだ。許されてる感じがするんだよ。本を読んでいれば、社会だの政治だの、そうした実益的なことから目を背けていても大丈夫な気がするんだ。免罪符みたいなものさ」

 

「私みたいに下手に考え過ぎて疲れるより、幾らかマシだわ。いや数倍生産的よ。私もよく本を読むわ。ビジネスに関する本だけどね」

 

「君は読書の時ですら現実から目を背けないらしいね。僕は文学ばかりだ。カミュやヘッセ、ヘミングウェイなんかも読む。太宰も芥川も谷崎も好きだ。文学ばかりだ。ビジネス本なんて買おうと思ったことがない。どうかしてるかな」

 

「あなたはそうあるべきよ。それが似合うわ。比べて私は滑稽よ。営業のノウハウ本なんか読んで、本当に役に立つのかどうか分からないもの」

 

「君の専攻はなんだい?実学なんだろう?」

 

「文学よ。シェイクスピアからイギリスにおけるユーモアの特徴を汲み取る毎日よ。あなたは?」

 

「それは驚いた。僕は経営学だ。祖と呼ばれるドラッガーを真正面から研究してるよ。思いの外楽しいね」

 

「私たちは余暇に必要なものを補う行動をとっているみたいね」

 

「そうみたいだ。なんだかなんとかなりそうな気がしてきたよ。僕たちの将来は明るいかな?」

 

「さあね。けれど、少なくとも今だけは少しだけ明るい気がするわ。今はそれで充分よ」

 

 

私は定年まで貿易会社に勤めた。

 

青年は確か、機械メーカーに勤めたと聞いたがその後は知らない。

読書会運営六ヶ月を迎えて思うこと

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僕は6月から読書会を運営している。運営していると言えるほど、アクティブな活動はしていないけれど、まあ運営している。学生時代でも、単発の読書会を本好きの友人を集めて3回ぐらいやった。よく読書会という字面から、集まってひたすらに本を読むものだと勘違いする人がいるが、さすがにそれはしない。学生時代にやった読書会もそうである。内容はとても単純なものだ。一冊、課題図書を誰かが決める。それを当日までに各々が購入し読んでくるところから始まる。当日は、主に感想を言い合ったりするのだ。皆んなを集めた僕は、少しでも読書会っぽくする為に、課題図書に関する質問を幾つか用意しては皆んなに聞いていたものだ。とはいえ、さして本の話が盛大に膨らむわけでもなく、後半は関係のない雑談となるのが同じパターンであった。それでもとても楽しかったのだ。少しばかり、高尚でインテリなその会合は中々刺激的で、自由で楽しかった。

 

そんな思い出もあり、大学を卒業してからも読書会をしたいと思うようになった。とはいえ、最大の動機は読書習慣の継続にあったと言っていいだろう。社会人になってしまえば、読書が身近でなくなってしまうのではないかと危惧していたのだ。いつから本格的に読み始めたかは定かではないが、読書は僕の中で欠かすことのできないライフスタイルとなっていた。だからこそ、社会人になり日々の仕事に忙殺されようと、月に一冊は読んでいきたいと思った。全く読まなくなるより、余程いい。そこで読書会を定期的に開催するグループを作ろうと思い立ったのだ。月一回の開催で課題図書を皆んなで読んでくるスタイルの読書会である。課題図書というハードルを設定することにより、ほぼ強制的に本に向かえると思ったし、ただ読むだけに留まらずその一冊を皆んなで共有出来るのは、とても有意義だと感じていた。そこで何の気なしに、ツイッターで呼びかけてみたら、中学時代の友人がリプライを寄越してくれたのだ。

 

それから僕の友人、友人の友人などをLINEグループに入れ、少数ではあるものの読書会が始まった。月に一度、都内のお洒落なカフェで開催する。第一回目、二回目は新宿。三回目は渋谷。四回目は自由ヶ丘と場所を変えつつ、開催していった。少しずつではあるものの人数は増えていった。しかし、まだまだ少人数の閑散としたサークルの域は超えない。それゆえ中々人が集まらないことから、五回目は僕一人自宅での読書会となった。なんだそれと思うかもしれないが、月一の継続を断つことに抵抗を感じたので、一人でコーヒーを淹れ本を読み、最後にはそれらを並べて写真を撮り、今までの読書会記録をアップしているフェイスブックページに載っけた。割と痛い。しかしこの読書会の主催者は僕であるから、これは読書会なんだと定義すれば読書会になるのだ。随分とガバガバな定義だとは思う。そんなこんなで、停滞気味である読書会は方向転換を考えた。

 

今までの読書会ではカフェで4人ほどで集まり、課題図書の感想を言い合ったり、おすすめの本を持参して紹介し合ったりしていた。これでも十分楽しいのだが、結局は本があるだけの集まりに過ぎないとも感じていたのだ。来る方の優先順位もとても低いものとなっていただろう。とりわけ開催は土日である。果たして休みの日に、知らない人ばかりの環境にポジティブな感情だけで行くだろうか。人見知りの僕からしたら答えはノーだった。しかも読書会だなんて何だか高尚な響きだし尚更行き辛い。参加者は緊張と期待が入り混じった感情を持って参加してくれるものだと思う。初対面でも様々な人と多く繋がりたいと思っていたり、純粋に本が凄く好きで読書会に参加したいと思っている人でない限り、せっかくの休みに初対面だらけの場所に出向こうと思うだろうか。特に社会人なら平日は仕事におけるコミュニケーションを嫌というほど取っている人も多いだろう。土日ぐらい仲の良い見知った友人や恋人と過ごしたいだろう。とまあ僕はそう考えていた。そこでもっともっと読書会のハードルを下げようと思ったのだ。課題図書なし。おすすめの本もあったらでOK。そしたら人が少しは集まりやすくなるのではないか。しかしそういうわけでもなかった。これは予想だが、参加者の来る可能性をさらに下げている気がしたのだ。つまり、そんな簡易的な雑談メインの本を添えただけの集まりなら、行く価値あんまなくない?となったのだ。勝手な予想である。僕が参加者側ならそう思う。

 

そこで、先述した方向転換を試みることにしたのだ。それは、貸し会議室を借りて行われる、本格的な本を通したワークショップである。カフェでの雑談形式には限界があった。人数がもっと増えたら、いずれは貸し会議室での読書会を考えてはいたが、現段階でいきなり、そうしたスタイルにシフトチェンジすることにしたのだ。これは今月下旬に開催する予定であり、まだ成功失敗の判断は出来ない。現在は10人の定員を想定し、人を集めているところだ。しかし、すでに躓いていると言える。中々人が集まらない。今までは、友人の紹介という形で形成されたグループの中でのみ、人を集めていた。しかし、それでは10人は無理である。そこで不特定多数からの募集へとシフトした。クリエイター向けのSNSであるnoteでも募集を出してみた。たった10人。されど10人。もし自分がインフルエンサーブロガーなら、ツイッターフォロワー数がめちゃくちゃいたりとか、つまり大きなチャンネルやメディアを持っていたら話は別だろう。逆に人が集まり過ぎて困ったりするのだろうか。しかし現実は違う。僕は無名の20代前半の本好きに過ぎないのだ。

 

今回は、毎回アクティブに参加していただいているプレゼンスキルの高い社会人の方が自身の考えをユニークな語り口で、参加者に向けて話してくれる。その他にもワークショップを幾つか考えている。果たして、読書会はどういった軌跡を辿っていくのだろうか。

 

 

そもそも、何故僕は読書会を運営しているのだろうか。

履くだけでモチベーションが跳ね上がるサンダルの話

魂のサンダル

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女はサンダルを3週に渡って探していた。

 

とはいえ、季節は真夏の直前。今から買っても遅くはない。女が求めるサンダルは限定1000個のサンダルであり、さして栄えていない地元の街にはあるはずがなかった。

 

女は3週に渡って休日に都会に繰り出したが、どうも見つからない。それもそうだ、このサンダルは世の中に1000個しかなく更に特徴がある。


それは履いた者のあらゆるやる気を跳ね上げてくれるというものだ。

 

それは巷では魂のサンダルと呼ばれている。

 

ネットでは既に手に入れ、それを履いた者のレビューや噂が飛び交っていた。


やる気が出て、休日の朝に3時間もランニングをした者。やる気が出て、一週間で語学を習得した者。やる気が出て、平社員から会社の社長に就任した者。最早これは嘘だろうと思われる噂が飛び交っていたのだ。


テレビのニュースでもその現象が特集されていた。

 

女はこのサンダルがどうしても欲しかった。


女は何もかも先延ばしにする癖があったのだ。

 

学生の頃からテストにおいても前日になるまで勉強のやる気が起きない。就職活動もやる気が起きず、親戚の会社にコネで入ったぐらいだ。


女には何かを計画的に頑張るという力が不足していた。しかし、今まではそれで辛酸を舐めたことはなかった。

 

だが、最近社内が英語を公用化し始めたのだ。遂に女にピンチが訪れた。


英語などからきし出来ないため、今や閑職に追いやられそうなのである。それなのに女は英語を学ぶやる気が起きない。これは女の先天的な性格的特徴なのだろう。

 

しかし、このままでは会社をクビになってしまう。たいした資格もない女に次の仕事のあてはなかった。女は英語を身につける為に魂のサンダルを探していたのだ。

 

ある日、その瞬間は訪れた。何気なく見ていたフリマアプリに魂のサンダルが10万円で売られていたのだ。


さすがに10万じゃ、このオカルト的なサンダルを買う者は中々出てこない。しかし、女は違った。大枚をはたいて魂のサンダルを購入したのだ。


後日届いたサンダルは、見る分にはただの黒く特別感のないものであった。それはどこかスポーツサンダルに近い。


女はビジネスカジュアルにそぐわないことを承知で、そのサンダルを毎日履き続けた。

 

一週間後、女は社内において、英語で日常会話を流暢にこなすことに成功していた。

 

一ヶ月が経つとビジネスにおける英語も板に付き、閑職からは程遠いエリート部門に配属されるようになったのだ。女は今やバリバリのキャリアウーマンである。

 

季節が変わろうが女はサンダルを履き続けていた。サンダルがなければ、この地位から転落してしまう。私がこの地位にいるのはサンダルのおかげであると考えていた女は、家にいる時もサンダルの裏を拭いて履いていた。

 

一年が経つと、女は海外を股にかけ仕事をする国際的なキャリアウーマンとなっていた。『サンダルのビジネスウーマン』と各国の新聞で掲載された程だ。女はとても有名になった。

 

何もかもが上手くいき、女はやる気に満ちていた。仕事から帰れば勉強をする。朝はランニングをしてから出社。女は理想の生活習慣を身に付けていた。

 

サンダルを買って、2年が経った頃女は帰り道、側溝に足を掛けて転んでしまった。


サンダルの皮が大きく剥がれた。いくら修繕しても元には戻りそうになかった。

 

女は遂にサンダルを失ってしまったのだ。

 

女は仕方なく、季節とシーンに合った靴を履くようになった。

 

それから3年後、女は政治家として外交的な仕事を精力的に続けていた。

 

 

女にはもうサンダルは必要なかったようだ。

ウザいカップルと応援されるカップルの違い

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見てるとどうもイライラするカップルがいる。はたまた、いつまでも仲良くいて欲しいと思えるカップルも存在するものだ。個人が好かれたり嫌われたりするように、カップルという二人組も周りから好ましく思われたり、嫌悪されたりする。とりわけ芸能人が良い例であり、彼らはお似合いだと祝福され、何かしら翳りがあるとどうもバッシングの対象になる。今回は、いわゆるウザいカップルと応援されるカップルのそれぞれの特徴を書いて、その違いを見ていこうと思う。

目次

 

ウザいカップルの特徴3選

1.所構わずイチャつく

いやもう本当にやめて欲しい。ここは米国じゃねえんだよ!いや米国の感じ分からないけどさ。とりあえず、駅前で抱き合ったりするのやめてくれませんか。しかし、分からなくもない。僕も駅前でハグをしたことがあるからだ。正直、当事者からしたら周りの目とかどうでもいい境地だよなあの瞬間。だが、ウザいという自覚はある。ライトな触れ合いならいいが、電車などでベタベタし過ぎるのはやめよう。見ていてあまり気分の良いものではない。

 

2.SNSでの過剰な幸せアピール

あんなのは全部偽物だよ。お互いを装飾品だとしか思ってないのだろう。私たちはこんなに幸せで充実しているんですということを、SNSを通して周りに披露しているわけさ。見てる方からすれば痛いことこの上ない。少しならいいだろう。しかし、Instagramの写真が恋人とのツーショットだらけっていうのは品がない。まあこちらも本人たちが楽しければいいのだろう。しかし、周りからは歓迎されにくいだろう。捻くれた僕はミュートするか、気付かれぬようにブロックする。

 

3.お互いの利害が透けて見える

例えば、分かりやすいもので言えば美男美女カップルだ。スクールカースト上位同士の高校生、大学生カップルはお互いを利用して自身に箔をつけてる節がある。お似合いのカップルとして学内に君臨することで、カーストを保ち、羨望の的を意のままにしているのだ。大人に関して言えば、金持ちと付き合う美女という構図だ。不細工な金持ちも美女と付き合うことによって、自分のステータスを上げることが出来る。いや純粋に気分が良いだろう。それに美女にとっても金持ちと付き合えば、様々な恩恵を得られるというわけだ。このようにお互いが好き合っていなくとも、利益を与え合える限り交際を続けるというのもよくある話だ。例えばあのかつてお茶の間を賑わした、高齢の芸人と若いモデルのカップルはまるで世間から支持されていない。それが良い例だろう。

 

応援されるカップルの特徴3選

1.男女共に好かれる人柄である

やはりこれは大きい。別に容姿が優れていたり、カリスマ的人気を得ているのとは違う。純粋に周りの人間から、人柄の良さを評価されている人のことだ。友人の恋愛にも応援的で、でしゃばりもしない。優しく安心感のある存在。男なら優男と形容される存在だろうか。女なら癒し系か。いやそのタイプは限定されないだろう。とにもかくにも人に好かれている人間同士が付き合えば、純粋に応援されるのだ。好評価を得ている芸能人同士が周りから応援されるのと同じである。

 

2.皆んなといる時の距離感が近過ぎない

これは案外盲点である。例えばそのカップルを含めた複数人の男女でBBQに行くとする。そんな時、カップルである二人はどういったスタンスでいればいいのだろうか。これは二人だけでいる時と、公の場でいる時の振る舞いの重要性に関する項目だ。二人だけでいる時はベタベタしてればいいさ。まあ公共の場であまりイチャつくのはやめてもらいたいが。しかし、友人たちといる時まで、例えば行きのバスでイチャイチャしていたりすれば、どうも見ている方も気が晴れないのではなかろうか。気が晴れないというより、そこは控えてくれと思うわけだ。BBQの準備中、そのカップルは何もせずに二人で離れて話し込んでいたとしよう。こうなれば、いよいよ応援されないカップルの仲間入りかもしれない。皆んなといる時は、あまりカップルを意識し過ぎず皆んなで楽しむことを忘れないようにしよう。

 

3.お互い本気で交際している

大事だろう。結局、お互いが片手間に、寂しさを紛らわす為に付き合っていたとするならばそれは応援されにくいと言える。利害の一致とかではなく、もちろんそうした節はどのカップルにも、とりわけ結婚になればあるのだろうが、純粋に好き合って交際するべきである。お互いが真剣に交際していれば、周りもそれを自然と応援したくなるのだ。これは思いの外、周りに伝わるものである。例え、その恋愛が長続きしなかったにせよ、真剣に交際した経験は次に繋がるし良い思い出にもなるだろう。だからこそ、本気で付き合っているカップルは応援したくなるのだ。

 

 

 

以上です。久しぶりの更新でした。

 

 

トイレから出たら大草原が広がってた話

村人の夢

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男はトイレにいる。

毎朝、決まった時間に朝食を食べ、決まった時間にトイレに入るのだ。そのルーティンをこなして会社に行く。


しかしそのルーティンに変化が訪れた。


トイレから出ることにした男はドアを開ける。すると、そこは見覚えのない光景であった。

 

いつもの部屋の間取りと明らかに違う。ここは一体何処なんだ。出て左にシャワールームがあるはずなのに、左には大きな玄関へと続く廊下がある。


男は当然のように混乱し、パニックに陥った。すると後ろから声がした。

 

「どちら様ですか?ご予約の方でしたらお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 

女将と呼ぶのが一番相応しいだろう身なりの女性がそう尋ねる。どうやらここは旅館らしい。

 

自分の部屋のトイレに入り、ドアを開けたら何処かの旅館に来てしまったわけだ。まったく理解できない現象だ。


にもかかわらず、男は思いの外冷静に答えた。
「いえ、トイレだけ借りさせてもらいました。失礼しました」


男は足早に玄関の扉を開けた。すると、そこは自宅のトイレだった。

 

「おいおい。どうなってやがる。今のはなんだったんだ。それよりもやばいぞ。仕事に遅れちまう」


男は腕時計を確認した。しかし、時間は男がトイレから出ようとした時とほぼ同じだった。


「時間が経ってないのか...。ああそうか、きっと俺はトイレの中で寝ていたのかもしれない。ああそうだ。きっとそうに違いない」


そんなわけはないと理解しながらも、男は自身を落ち着かせるため、そう言い聞かせた。

 

男は再びトイレのドアを開けた。するとそこは大草原であった。

 

勘弁してくれよ。どうなってるんだ。男の頭の中は大混乱である。

 

草原を彷徨い歩く。どこかにトイレに戻る出口があるはずだ。次第に村が見えてきた。疲れた男は村に着くと、倒れこんだ。

 

「俺は今トイレの中にいるのか、それとも外にいるのか。どっちなんだ」

 

「何を言ってらっしゃるの。ここはトイレではないわ。小さな農村よ。あなたは旅人さんのようね。とても疲れているみたいだわ。私の家に泊まっていきなさい」

 

突然そう声をかけてきた女性はとても美しく、男は一目惚れしてしまった。それからというものの男はここが何処なのかなどどうでもよくなり、村での生活に馴染んでいった。

 

男手が不足していたこの村において、男の働きぶりはとても助かるものだった。


次第に男が一目惚れした女性との仲が発展し、結ばれた。そして子供が3人でき、一家の大黒柱として今日も畑仕事をしていた時のことだ。

男は目の前に黒い渦のようなものがあることに気付いた。


男は怖いもの見たさでその渦に手を触れてみた。


すると、一瞬で吸い込まれ自宅のトイレに戻ってきた。


気付いたら便座に座っていたのだ。

 

何年ぶりの帰還だろう。もはや男にとっては村での生活がメインになっていた。家族ともう会えないということを考えると涙が止まらなかった。

 

男は時間を確認した。しかし、こっちに来る前の時間など覚えていない。その行為は無意味だったのだ。

 

男はトイレのドアを開けるのが怖くなった。次何処に連れて行かれるかまるで分からないからだ。


突然、トイレの外でばたばたと騒がしい足音が聞こえた。どうやらこちらに向かっているらしい。足音が止んだと同時にドアの外から激しいノックが始まった。


「ここにいるんでしょ、開けなさい。どうして...。なんでなの...」


「お母さん、落ち着いてください。もう随分と時間が経っています。残念ながら息子さんは生きておられないでしょう。ドアを壊しますので、下がっていてください」

 

男はドアの外の会話を聞き、何やら大変なことになっていることに気付いた。あれは間違いなく母の声だ。とりあえずドアを壊されそうだ、開けなくてわ。


男はそう考えドアノブに手をかけた。しかし瞬間、男の頭に一つの考えがよぎる。


「待て。今までは自分で開けて見当違いな所に行く羽目になった。向こう側から開けてもらえば自宅に戻れるのではないか」

 

「えっ...。声がするわ。生きてるのね...。生きてるんでしょう...」

 

「ああ生きてるよ。鍵を外したからドアを開けてくれ母さん」


母は言う通りにドアを開けた。男は開かれたドアの向こうに母と、おそらく役所の者であろう男がいるのが見えた。

 

どうやら自宅と繋がったらしい。

 

二人の顔は少しばかり、有り得ない状況を見た恐怖のようなものに包まれていた。

 

男はリビングの方に歩いて行き、机の上に置いてあった携帯電話を開いた。

 

20XX年。男は2年経っていたことに気付いた。

 

男は家族と殆ど口を聞いていないような関係であったのだ。半ば強引に家を出た男は一人暮らしを始めたが、唯一仲の良かった母とだけは連絡を取り合っていた。

 

しかし、その連絡が急に途絶え母はとても心配した。


男はヨーロッパに住んでいた。そう簡単に来れる距離ではない。

 

母は元気でやっているだろうと信じていたが、やはり心配になりヨーロッパにある男の家まで来たのだ。


しかし、カレンダーが2年前ということ。机の上にある携帯電話がかなり古いモデルであったこと。また、トイレのドアが閉まっていたことから男が自宅のトイレにずっと閉じ込められていたのではないかと推測したのだ。

 

ほとぼりが冷めたある日の朝、男は会社に行く途中黒い渦に吸い込まれた。

 

気付いたら畑の上にいた。

 

どうやら男は眠っていたらしい。


随分と長い夢を見たな。家には妻と子供たちが待っている。

 

 

今日はもう帰ろう。

有名になるということ

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少し前、近所のショッピングモールのステージに芸人が来ていた。

ステージは一階にあるが、二階の手摺にも人が隙間なく寄っかかっている。

その芸人はテレビに多く出演し、有名人と呼ぶのに顕色ない人物であった。


さして有名でもない人物であっても、ステージにあがり、何かを披露していたら人が一定数集まるだろう。
しかし、明らかに有名な芸能人の場合、集まる人の数が違う。

皆んな、一目見ようとステージに身体を向ける人の群れの間から演者を覗く。


僕もその中の一人であった。


僕はステージでネタを披露する芸人を基本的に真顔で見ながら、たまに口角を上げて反応していた。あまり気持ちの良い客ではないだろう。


僕は有名人という存在に何故、こんなに人が集まり注目するのかを漠然と考えていた。

結局は同じ人間なのだ。僕は子供の頃総理大臣はトイレなんかしないだろうと思っていた節があるが、それは違っていた。

芸人もモデルも総理大臣も皆んな人間であって、トイレをするのだ。風呂にも入るし歯も磨くだろう。

箪笥の角に小指をぶつけた経験もきっとあるだろう。

ステージの上にあがり、観客を湧かせる有名人も僕たちと同じ人間なのだ。

それなのに、何故か彼らはとてつもなく一般人(有名ではない人)とは違う何かを持っているように見える。
普通とは違くて、有名になるのが生まれた時から決まっていたに違いないんだと思わせる何かがあってと錯覚する。


けれど、そんなことはなくて、ステージの上にあがる人はステージの上にあがる為の道を選んで努力を重ねて観客を湧かせているのだ。

決して神に選ばれた人間というわけではないのである。

それでも、何故か僕たちは有名人に神秘性を感じてしまう節がある。



だから僕は期待していた。ステージの上に立つ有名人は明らかにそこらへんの人とは違う雰囲気を携えて、その力を発揮し圧倒してくるのだと。


けれど、別にそんなことはなかった。僕の感受性の低さや厭世的な思考が原因なのかは分からないが、微塵も圧倒されず神秘性を感じなかった。

その代わりに


「ああ、人間だ。あいつらは絶対にトイレをする。トイレばかりするぐらい人間だ」


と思った。



人間は有名になったって人間のままなんだということを改めて感じた。当然のことだけど。


もっと近くで握手でもしたら、また感じ方は違うのだろうか。

結局、ステージの上に立つ有名人を見ているのだから、感覚はテレビを見ているのに近い気がした。

ステージの前に透明なフィルターがある感じだ。


でもステージの上に立って、凄い数の人間に見つめられ、ネタを披露するという行為を完遂する人たちには感動した。


僕にはとてもじゃないけど出来ない。ステージの上に立った瞬間に頭が真っ白だ。吐血するかもしれない。


でも芸人だって初めからそれが出来たわけじゃないはずだ。何回も何回も練習を重ねて、気持ちをコントロールしてステージの上に立つのだ。それで観客を笑わせる。凄いなと思った。



だからこそ、有名人も僕らと変わらない「人間」だと思った。


むしろ、有名人の方が辛酸を舐めても這い上がり表に出ているから人間らしいのだろうか。




有名になるということは、人間らしさを追求した結果なのかもしれないと僕はステージを眺めながら思っていた。

なんか知らんけどあいつの脛めっちゃ蹴りたい

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なんか知らんけどあいつの脛(スネ)めっちゃ蹴りたいわ。



という感情に苛まれたことはないだろうか。



俺は歩いてる時、頃合いの奴を見かけては『なんか知らんけどあいつの脛めっちゃ蹴りたい』と思うのだ。





嘘じゃない。三週間に17回思ってると言っても大袈裟じゃないだろう。




実際に蹴ってみたことがある。前から向かってくる『なんか知らんけどめっちゃ脛蹴りたいやつ』の脛を思い切り蹴飛ばしてみたのだ。




するとどうだろう。そいつは激昂するかと思いきや笑顔を湛えてこう言うのだ。




いい蹴りじゃないか。君に蹴られたおかげで親戚のヘルニアが完治したよ




俺はこの瞬間、おそらくこいつは頭のおかしいやつなんだろうと決めつける他なかった。




目の前の人間の脛を突然蹴る俺よりもおそらく、こいつは頭のおかしいやつなんだろうと感じた。




後日、意気投合したそいつに連れられ、ヘルニアの親戚に会いに行くとこう言われたのだ。




おお君か。君のおかげでヘルニアが完治したんだよ。全くもうなんてお礼を言ったらいいか分からない。俺の娘と結婚させてやるぞ




俺は唐突に結婚したくなった。ヘルニアが完治した馬鹿の娘と結婚したくなったのだ。




12ヶ月が経ち、俺はその娘と4回映画デートを重ねて結婚した。



観たのは全てシンドラーのリストだった。



俺はその娘と仲良く暮らしていたのだが、ある日唐突に頭に過ぎった感情があった。




なんか知らんけどこいつの脛めっちゃ蹴りたい




俺はその娘の脛を蹴飛ばした。おそらくこいつもイカれているから、激昂せずに笑って気が狂ったことを言うのだろうと思っていた。




しかし娘はこう言うのだ。



なにすんのよ。あなたのせいでお父さんのヘルニアが再発したじゃないの




俺は混乱して、後日最初に蹴飛ばしたやつの親戚の家を訪ねた。




彼はヘルニアが悪化していた。




俺は娘と離婚し一人になり、憂鬱を抱えて川越を歩いていた。




目の前から猿のような顔をした男が4人歩いてきた。




俺は脛を蹴飛ばした





気づいたら俺はある病院の診察室で医者を前に座っていた。




『やっと目が覚めましたね。気分はどうですか』




俺はやはり『なんか知らんけどこいつの脛めっちゃ蹴りたい』と思った。




その後のことは覚えていない。



ただ1つ確かなのは、







この文章には何の意味もないということである。